管理職から陥落したおじさんのぼやき・・・
管理職から陥落するっちゅうのは、ほんに辛えもんだわ。おらも、あのポジションにおった頃は、やれ会議だ、やれ調整だっちゅうて、毎日忙しぐしてたっけが、いざその役職を降りたら、なんだか心にぽっかり穴が空いたような気がすっがね。新潟弁でぼやくのもええが、これ、ほんに共感すっがなあ。
おらの話すっけど、管理職っちゅうのは、やっぱり責任が重ぇもんだっけの。下のもんたちの面倒も見なきゃならんし、上からのプレッシャーもずっとある。みんな「いい加減にしろや!」っちゅう気持ちにもなるこたあったっけが、それでもなんとか乗り切ってきたわけだ。でも、ある日突然、「もうお前はええ」と言われて、ポジションを外されたっちゅうわけだ。
そんときゃ、なんだか悔しゅうて、やり場のねぇ気持ちでいっぱいになったわ。なんでおらが?って何度も自問自答したけど、答えなんか出ねえんだて。管理職っちゅうのは、自分で選んでやるもんでもねぇし、選ばれるもんだっけの。だから、外されるっちゅうのもまた、避けられん運命だったかもしれねえがね。
外されてみっと、やっぱり周りの目が気になるもんだわ。今まで同僚だった奴らも、なんだか距離を置くようになるし、下のもんたちもどこか扱いが雑になるような気がすっがね。「ああ、もうおらの時代は終わったんだな」と思うと、寂しさがこみ上げてくる。
管理職におった頃は、「もうこんなプレッシャーだらけの仕事、いつでも辞めてえ」って思ってたけど、いざ辞めたら辞めたで、あの忙しさが恋しくなるんだわ。あの時のやりがい、充実感、それがなくなると、なんだか自分が価値のねえ人間になったような気がして、どうにもならん。
んで、まあ、降格したあとの生活っちゅうのも、簡単じゃねえんだよ。周りは「ああ、あいつは失敗したんだ」とか「もう役立たねえ奴だ」とか陰でこそこそ言うもんだし、そっこまでいかなくても、なんか遠巻きに見られるようになるがな。これがほんに堪えんのだわ。
降格してみっと、今まで見えてなかったこともよう見えるようになるもんだ。例えば、あの時「なんであんなに大変だったんだろう」と思ってた仕事、実はもっと効率よくできたかもしれねえなとか、後輩たちの苦労をあんまり理解してなかったんじゃねえかとか、そんな反省が出てくるがな。でも、その時はもう遅いんだわ。管理職の座に戻れるわけでもねえし、後悔したところでどうにもならん。
今は、そんなことを考えながら、細々と仕事をしてるが、正直言って、あんまり張り合いがねえ。もちろん、仕事は大事だっけど、あの頃の「自分がチームを引っ張ってる」っていう感覚はもうないがな。今はただ与えられた仕事をこなすだけ、っちゅう感じだわ。
管理職からの陥落っちゅうのは、ほんに心の中を揺さぶられるもんだ。今まで築き上げてきた自分のキャリアが、あっという間に崩れ落ちるんだがらな。自分に自信があったとしても、それが急に崩れると、やっぱり何も残らんもんだわ。
でも、まあ、こうやってぼやいても仕方ねえんだがな。人生っちゅうのは、波があって、上り坂もあれば下り坂もあるっけの。おらが今下り坂を歩いてるっちゅうだけで、また上り坂が来るかもしれねえ。そう思わんとやってけんがな。
降格したことで学んだことも多い。例えば、人の気持ちをもっと考えるようになったし、部下たちの大変さも身にしみて分かるようになった。今まで「俺が正しい」とばっかり思ってたけど、実はそうじゃねえことも多かったんだがな。そういうことを理解できるようになったのは、降格してからの唯一の収穫かもしれん。
ま、降格したことを後悔しねえっちゅうのは嘘だが、それでも前に進まなきゃなんねえ。おらも、こんなぼやきばっかしてねえで、なんとか新しい道を見つけんばなんねえ。人生は一度きりだっけの、こんなとこで足踏みしてるわけにもいかん。
周りのもんたちも、あんまり他人の降格を見て「自分は大丈夫だ」とか思わんほうがええぞ。誰にでもこういうことは起こり得るがらな。自分が今どこにおるかよりも、大事なのは、そこからどうやって進むかっちゅうことだわ。管理職から落ちたおらが言うんだがら、間違いねえって。
さあ、これからどうするかはまだ決めてねえけど、一歩一歩進んでいくしかねえ。降格したことに囚われすぎず、新しい自分を見つけるっちゅうことが、これからの課題だわ。ま、あんまり深く考えずに、今を楽しむのも一つの手かもしれねえしな。
おらも、まだまだ頑張らんばなんねえ。どんなに辛くても、諦めずに進んでいくしかねえもんな。